誰がために学習する

そは汝がために学習するなれば。。。

本来の意味とは違った只の語呂合わせ(笑)

以前の日記で出た小学生時代の私の記憶について書こうかなと思います。

私が小学5年生の冬、まさに中学受験を目指して四谷大塚の準拠塾に通っていた時のことです。

精神的に幼かった私は塾の流れに身を任せ、漫然と学習をしていました。

友達と遊びたくなったりゲームで長時間遊んだりするくせに、一丁前に「○○中学に合格したい」と口にする子供でした。

そんなある日、父に言われました。

父「さだおの成績についてはお父さんはどうだっていいよ。俺にとってはお前の成績が悪くたって何も困らない!」

私「え!? (無言のまま・・・)」

父「息子が優秀だからといって自慢にはならないし、俺には仕事で大きな目標があるからね。息子が優秀過ぎると、却って自分が駄目に思えて気まずいくらいだ。」

私「(頭真っ白・・・)」

その時の私は、父と母は私の成績が上がることを喜ぶはずだと思っていたので、びっくりしたと同時に涙が溢れてきました。(隠れて号泣したのを覚えています)

私は「お父さんに嫌われているのかな?」、「本当は僕はお父さんの子じゃないのかもしれない!」とさえ思いました。

しかし、そこは後になって母がフォローしてくれたお陰で、最後には「学習(この中学受験)は自分自身のためにやるのだ」ということが理解できました。

この一件以来、気が引き締まった私は目標を持って学習に取り組めるようになりました。

今では感謝していますが、父の発言は「息子は息子、私は私」という考えに起因していたことは疑いありません。

6年生に入る前という大切な時期に、父は狙って発言してたのかなと思っています。

この前の正月休み、家族で実家へ帰った時に父に聞いてみました。

私「昔のことになるけど、俺が塾に通っていて5年生の時に過激なことを言って渇を入れてくれたじゃない? 勉強は自分自身のためにやるんだと伝えるために。」

父「そんな事を言ったっけ? 覚えてないな(笑)」

もう還暦をゆうに超えた父は、忘れっぽくなっているのだと思います。

長男に中学受験をさせようと考えていた時、私は「いつかこれと似たのを言ってやろう」と思っていました(笑)

やはり血は争えないなと感じます。

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