この話については書こうかどうか、非常に迷っていました。
しかし、思うところについて書いてみようと決心しました。
妻は既に1月下旬にはコロナウイルスに警戒すべきと言っていた為、「私に先見の明があることが証明された!」とドヤ顔をされました。
当時「習い事に通うのは、まだやめなくてもいいんじゃない?」と言っていた私は、この点については認めざるを得ません。
実は我が家には、陽性判定者と接触していた可能性があると考えられた時期がありました。
2月下旬には相談センターや保健所に電話をかけ(なかなか繋がらないです・・)、PCR検査をしてもらえないかと調整していたことがありました。
結局、保健所から「それは濃厚接触とは言えない」という判定を受けて納得したわけですが、妻などは「不安だし支障も出ているのに、なんで検査してくれないんだ! プンプン!」と怒っていた時期もあったわけです。
今の日本では、37.5度以上の発熱が4日間(肺炎と想定されるような症状)が、濃厚接触と確定していない人を検査する大枠基準となっていると言えましょう。
色々な話を聞いた結果として気づいたのは、日本の考え方の前提として、PCR検査というのは医療崩壊を防ぐための検査であるということです。←(私の考えが入っています)
そして、この考え方が他の分野での安全性担保の考え方と非常に似ているという事実に気づきました。
つまり、大枠が崩れないようにしっかりと抑えることで、全体としての安全性を保とうという思想です。
見えないもの(症状として現れない)&検査でさえ出ない可能性の高いもの(極微量なウイルス感染)は、無いものと同等として扱うということです。
1人1人の不安を取り除くという観点だと正しくはないですが、合理性はあるといえます。
日本は自国の医療システムを信頼していて、肺炎状態の患者を高確率で助ける自信があったのだと感じました。
実際には死者が出ているので、その幻想は多少崩れたと言ってよいわけですが・・・。
確かに、(検査していないので)感染している人が多いはずなのに、海外に比べると死者は少ない(助けている率は高い)ように見えます。
日本の医療システムは世界的に見ればかなり良い水準であることは間違いないです。(海外で仕事をしていた時は、日本との医療システムのレベルの差に愕然としました。)
そこで感じたことは、色々な意味を含めて日本はかなり賢いのだということです。(医療関係者からすると政治的側面が強く、検査を絞ってきたことは賢いとは言えないと指摘するかもしれません。)
私としては日本政府の選択に納得したので、保健所が検査に易々と対応してくれないことへの怒りは生じませんでした。
妻にも色々と話して説明したところ、怒りなどは消え去ったようです。
東京オリンピック2020の最大1年程度の延期が発表され、これからPCR検査を増やすのかもしれません。
懸念(開催都市契約問題)が多少取り除かれたことで、情報開示が多くなってくるかもしれません。
このPCR検査、社会的に地位が高い人物や利権のある人物は優先的に受けていたでしょうし、基準(37.5度以上の発熱が4日間)を満たした人物以外では、これからもその順序だと思います。
まるで戦時下を思わせるような非常事態での対応方法に近いです。
「これはウイルスとの戦争なんだ!」といった意味が分かったような気がしました。
(今回は思うところを取り留めもなく書いてみました。今更ですが、上記は私の個人的見解なので悪しからず)